最近、思ったことがあります。
普通に生活の中で好きな人に出会って、その人と結婚して人生を共にするって、
ほんとに素晴らしい奇跡だなぁと思ってたんですが…
実はそうじゃないよなと。
男女や人間に限らず、ご縁というものはあると思っています。
でも、そういった縁をしっかり結んで形にするのは、
運命や奇跡の力なんかじゃなくて、本人のやり方や努力次第なんやろうと。
だから、
「普通に両思いになって付き合って普通に結婚できて羨ましい。」
「なぜ自分にはそんな普通なことができないのか」とか、
そんなことを少し前まで思ってたんですけど、
何も行動してない自分にそんな都合よくいいことが起こるはずがない。
それは引き寄せの法則とかそういうスピリチュアル?な話ではなくて、
みんな、人生を誰かとともに過ごすために、自分や相手のために努力してるんやって。
努力して、お互いに相手を大切に想いあったから、それが実を結んでるんやろうなぁと。
だから、わたしの「ありのままの姿を、受け入れてほしい」とか、
「自分のままで勝負したい」とかそんなことを思ってましたけど、
これっぽっちも努力をしてない自分のありのままって、
ただの怠慢な女でーすって言って回ってるだけなんかなと。
なんかそんなことを思ったんです。
今もその気はありますが、
わたしは自己肯定感低いので、どうしても卑屈になりがちな人間です。
だから、少し前まで
おしゃれに力入れたり、いわゆる「モテ」に力を入れている子を見て、
「計算高い」とか「あざとい」とか思ってちょっと毛嫌い気味だったんですが。
人に好きになってもらうために、おしゃれやアプローチ方法を研究することは、
それがもし計算だろうがあざとかろうが、それは自分を磨く努力であって、
何も行動も努力もせずに批判する人間よりは立派だよなと思うようになりました。
(もちろん外面ばっかで中身が伴わなかったり、人によって態度を変えたりは嫌いだし、
人を陥れたり騙す方法は論外ですが)
そうやって、頑張って好きな人と結ばれるのなら、それはもう運命の人じゃなくて自分で掴み取った結果だとも。
自分のやり方を信じて、頑張る。
そんな人の頑張りは、運命ってだけで片付けられない。
「他人に言えないほどの努力や 汗や涙の上にあって
そんな自分を信じた心を 運命なんて言わないでほしい」
SUPER BEAVERというバンドの、「運命」という曲の一説です。
ぜひお時間あれば聴いてみてください。
歌詞は載せられませんが、ぜひ全編とおして歌詞を文字としてでも読んでほしいです。
運命ってロマンチックで素敵な言葉やけど、
努力とか頑張ったこととかいろんなことが収束して運命ってひとことで片付けられてしまうのなら、
運命なんて言葉は使いたくない。
自分がこの人!って決めて、仲良くなる努力をして距離を縮めて、
そうやってお付き合いして結婚してともに過ごしていくことを決めたのなら、
それは「運命」のひとことで片付けたくない。
「運命の人」なんかじゃない。
「運命の人」なんて、本当はいない。
「運命の人」を、自分の力で捕まえる。
そんな気持ちで今日も明日も過ごしていきたい。
自分の人生、舵取りを人に任せずに、いつも自分が納得して生きてやる!
今日も幸せな一日だった!と、
毎日思って眠れるように。
よかったらまた遊びに来てくださいね↓