ニュース見て、黙っておれなくなってしまった。。
京都のALSの女性の尊厳死の事件について。
女性の自殺幇助で医師が逮捕されたけど、
女性の尊厳を守るために医師が手を貸した、というのなら、
難しいけれど自分の生き方を最期まで自分で決めた人と、それを助けた人の事件かなぁ…と思ってた。
でもなんかここへ来て、その医師が
「高齢者は見るからにゾンビ」とか、
「寝たきり老人は治療しても意味ない、どっかに捨てるべき」とか、
匿名でネットに書き込んでたってニュースを見た。
そのニュースがどこまで正しいかは分からないけど、
わたしはそういう選民思想、優生思想はほんまに思い上がりだし間違っていると思う。
そこへ至るということは、自分は「優生」「価値がある」「選ばれてる」側にいるって思ってるってことだろう。
そもそも「価値がある」の「価値の基準」だって、あいまいすぎる。
自分で稼いで食えなければ価値がないのか?
なら、子どもたちはみんな無価値か?
家族を持って子どもを産まなければ、価値がないのか?
なら、わたしのような結婚してない人間や、不妊に悩む人々は子を残せてないから無価値か?
立派な功績を打ち立てて世の中を良くした人が晩年寝たきりになったら、その人は無価値か?
成し遂げたことも全部なかったことになるんか?
そもそも、その価値判断を誰がするのか?
勝手な一部の人間の価値判断で他の人が脅かされるなんて馬鹿げているし、
あってはならない。
なにもしなくても、何もできなくても、生きているだけで価値がある。
この言葉は、優生思想をもつ人間にとっては詭弁以外のなにものでもないと思うけど、
わたしも、これを信じられないから今生きることがしんどい時もあるけど、
それでもいつかは実感したい。
生きてるだけで価値がある。
生きてるだけでだれもが素晴らしいということを。
自分だけでもまず、価値がある、ないという次元を超越したい。
みんながそう思えたら、もっと世界が平和になりそうなのに。
そもそも医師がこんな倫理観を持ってるとは。
はじめからそういう考えの持ち主だったのか?
それとも仕事を続けていくうちに、そう思い至ったんだろうか。
医師やから聖人君子でいろ、とまでは言わへんし思わへんけどさ。
命を救う側の人間が、命をたった自分ひとりの価値感で選別しようだなんて。
神様にでもなったつもりか。
というか、
高齢者は生産性がなく生きる価値がない、生きる意味がないというのなら、
そういう考えをもつ人間こそ、いずれ自分も例外なく老いていくことが苦痛で仕方ないと思うんやけど。
どう折り合いをつけていくんやろうか。
自分から老いることを許せなくて自死を選ぶんだろうか。
亡くなった女性の気持ちも、考えるとつらい。
ALSは身体が動かなくなって、最後は呼吸すら自力で出来なくなるけど、
脳は機能を失わずそのままだという。
だんだん何もできなくなるのに、意識ははっきりしていることを考えると、
その苦悩は想像を絶すると思う。
もし、女性がそんな自分を無価値で許せないって思って、
その思いがSNSで選民思想の医師につながったんだとしたら、
こんなに救われへんことってあるか。
「私は尊厳を守るために、自発的に死を選びます」
っていうのと、
「一人で何もできなくなった私にもはや価値はない、誰か終わらせてほしい」
って思うのでは、真逆だ。
もし自分が後者の考えに至ったら、つらすぎる。
選民思想、自分は選ばれた側にいるだなんて思うのは、ほんまに思い上がりや。
でも怖いのは、自分もマイルドにそう思ってないかっていうこと。
「自分に価値がない」って思うってことは、
無意識であろうがなかろうが、人との価値判断の比較の世界に生きてるってことだろうから。
人と比較をしてるうちは、本当の意味でこの医師を批判する権利がないんかなぁとも思ったり。
個々がそれぞれの尊厳をもってただただ生きる。
そこに人との比較なんて意味がない。
みんなそう思って生きていけたらいいのに。
自分含めて。