アラフォーエリナの人生まいにち人体実験!

関西弁独女エリナ(35)による、 生きづらさを生きる楽しさに変えるための、35歳からの人体実験の記録。

「モデルケース通りの人生」

あぁ、身体がだるい。

慢性的にモヤモヤイライラしている。




このイライラ。
30になるくらいから顕著に感じてきて、その原因が一体何なのか、最近までずっとわからなくてさらにモヤモヤしてた。

なんとなく最近、原因はこれかなと思ったことがある。


理想に全く近づけていない自分へのいらだちと、世の中への恨みだ。

自分を虐げている世の中への恨みつらみが溜まって、
自分の毒で腐って死にそう。


まぁ、恨みっていってもなにかされたんじゃなくて、全くの逆恨みなんですけどね。




で、その理想っていうのは、
自分が「思い描いていた標準モデルの生き方」

このことについては、過去記事でも幾度か記事にしてるけど…


「あるモデルケース」を目指してそこを目指す。

わたしもそれをずっと疑わなかった。

だから、生きづらさを感じていたけど「標準的なモデルケース」通りに、
高校出て、
大学出て、
就職して、
安定した収入を得て、
彼氏がいて、
ほぼモデルケースに則った生き方をしてきた。

そこには自分の興味あることとか、勉強とか仕事とかは選んできた。


でも
モデルケースどおりだったのに、なんかどこか満たされず空虚だった。


モデルケース通りだったのは28歳までだった。
28までってのは、「だいたい28で結婚するのが普通」と思ってたから。


28過ぎても結婚できなかった。
30になっても、まだ結婚できないと思った。
そして32で長年付き合った彼氏と別れた。

人生をともにできる人がそばにいなくなった。



35歳、アラフォー、彼氏なし。



いわゆる「モデルケース」から外れて、暗礁に乗り上げた。








知り合いに、フリーランスで働いてる方がいらっしゃるのですが、

その方は高校を出てすぐ海外へ出て、それから20年ほどずっといろんな国で働いていたそうです。


この間、その人に聞いてみた。

どうして日本で「普通に」大学出て「普通に」就職しなかったんですか。と。



そうしたら、その人はこう答えてくれた。


「小6の時、通勤ラッシュの時間帯に電車に乗ることがあった。

そこには大人がたくさん乗っていたけど、

みんな同じようなスーツを着て同じような鞄を持ち、みんな同じように覇気のないうつろな目をしていた。

その時自分は、そんな大人になりたくない。そう思った。」


「あのとき見た大人が普通だ、という日本にはいたくなかったし、
世界のいろんなことを知りたかった。

だから海外の大学に進学することを選んだ。」






この方は日本の外へ出たい!と思って、実際そういうようにできる人だから、

通勤ラッシュに詰め込まれてる人たちが余計に辛そうに見えたのかもしれませんが…




この方は50代なので、だいたい1980年くらいの話かなとおもうのですが。


『大学出て、企業に就職して、働いて30前に結婚する。
そして定年まで勤め上げる。』

その頃は、そういう人生がみんなのモデルケースで、成功だと思われてたんじゃないかなと思うんです。


「標準モデルケースの人生」通りの人生を歩めてるのに、
なんで目が虚ろなんだろう。

なんで幸せそうじゃないんだろう。




「モデルケース」に準じた人生。
でもなんか幸せじゃない。

そういう感覚はわかる。
自分がそうだったから。


外側だけ見れば順風満帆だったわたしの人生。
就職して、彼氏がいて、安定した収入を得て。

でも、中を覗けば彼氏の束縛、モラハラ
自分に自信がないから、仕事にも自信が持てない。

彼氏がいるのに、心は寂しかった。
道ですれ違う仲良しカップルを見て、自分がそうでないことを呪った。

とにかく不安と寂しさでいっぱいだった。





だから、「モデルケース」にどれだけ信憑性があるのかって。


とりあえず、「モデルケース」の人生通りに生きてさえいれば、
自分はなんとか「真人間」になれた気がする。
実態はどうであれ。

それまでの苦しさとか、報われた気になるんじゃないかなと思う。



でも、「モデルケース」通りに生きることを目的にしてしまったら、
わたしたちは何かを犠牲にすることすらあるんじゃないか?とも思う。

それで本当の自分がやりたかったことを抑えているのなら、
こんなに不幸なことはないんじゃないかとも思う。



ほんとはモデルケースなんていらないんだ。
いらないし、その通りになんて生きなくて良いんだ。
それに誰かが文句を言おうが、後ろ指さされようが、そんなのはほおっておけばいいんだ。

他人や世の中の概念の作ったモデルケースに、
万人が当てはまるはずがない。


なのに、そこを必死で目指して、そのとおりにできなかった自分に呪いをかけている。



自分を抑えて、モデルケース通りに生きられたとして。

死ぬときはどうだ。




「標準的に生きられたな〜!よかった〜!」

って言って、満足して死ねるか?
後悔はないだろうか。







最近、そんなことを考えている。







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