なんか、よくネット広告で出てくる不穏な漫画のタイトルみたいな感じになってしまった…笑
唐突なんですが、「愛してる」って口に出して言えますか?
別にパートナーに限らず、自分以外の誰かに。
わたしは、誰かに対して「好き」(友愛でも、恋愛でも)って言えても、
愛してるとはなかなか言えない。
多分今までに言ったこともない。
恥ずかしいのももちろんだけど、なんか喉元でグッてなにか詰まる。
「愛してる」って口に出すことを、想像するだけで胸がザワザワする。
思い返せば、わたしは人を好きになったことはあるけど、人を愛したことはないのかもしれない。
もっと言えば、誰も愛したことがないのかもしれない。
自分でさえも。
自己肯定感が低いってそういうことだと思うんですが、
以前「鏡の中の自分に愛してるって笑顔で毎日言ってあげよう」みたいなことを聞いたので、
それをやってみようかと思って挑戦したのですが…
「あ、あい…して…る(;゜∀゜)(ニコォ)」
みたいになってしまい、なんと言うか違和感と受け入れられなさで吐きそうになってしまいました。。
ウソでもフリでもなりたい態度をしていたら、そこへ近づいていける。
それはきっとほんとだけど、その時のわたしには無理だったのです。苦笑
自分すら愛せないで、人を愛することなんてできない。
しつこくしつこく言われているし、その通りだと思うけれど…
頭でわかるのと、実感を伴って腑に落ちるのとは全く違うのだ思います。
頭でわかったから、わかった!と思ってしまうと、落とし穴にはまる気がする。
自分をまだ愛し切れない。
愛してるよ~って言ってあげられない。
人を愛してあげることもまだきっとできない。
なのに、人から愛されたいって思っている。
でも、愛されたら愛されたで、
今のわたしはきっと見境なく愛を求めてしまうと思う。
それは依存だ。
それが恐ろしい。
よく、失恋を忘れるには次の恋愛!って言うけど、
それはただ依存先を乗り換えてるだけだなと思った(わたしの場合は)。
でも、失恋を忘れられないタイプの人はきっと、恋に依存して自分の存在の証明を相手に求める傾向が強い人だろうから、
「依存先を乗り換えるだけ」ってのは割と当てはまるんじゃないかなって思う。
わたしはそうだ。
結局ケイさんのことだって小熊さんのことだって、
スッパリ忘れられずに心のどこかにずっとくすぶっている。
恋してたあの時の自分と、その相手に依存してるのだ。
もう過ぎ去った今ですら。
だから、次へまだ進むことができない。
恐い。
でも、次を重ねないと「依存しなくなれた自分」にも出会えないのだ。
わかってるんやけどね。
__________________
……っていう記事を書いたのが、7月。
書いてなんかしっくり来なかったのか、
ずっと下書きに置いてあった。
この記事でも触れてますが、下書きに埋もれてたのをサルベージしてきました。
最近この記事について思ったことがあったので。
上の記事を書いた頃よりも、少しづつ世界の見え方が変わって来ている感覚がある。
7月のわたしは愛することが分からないと言っていました。
人に愛されたい、って渇望していた。
今だって愛されたいとは思うけど、
7月の頃の感覚とは少し違う。
人は、女は愛されてナンボ。
愛されないわたしはダメだ、自分を愛せないわたしはダメだみたいなところがちょっとずつなくなってきている。
人の方をずっとむくんじゃなくて、
自分の内側を見てみるようにしてみた。
すると、なんでか今までは見えていなかった、ささやかな嬉しいこととかが見えるようになってきた気がする。
そのささやかな嬉しいことは、人の思いやりだったり、気持ちの機微だったり、あったかい言葉だったり。
わたしはずっと愛情とか愛することって、
大恋愛の末のすごい感情とか、全て包み込むような度量のある人が持てるような感情とか、
「すごい立派な、大袈裟なもの」というイメージを持っていたんだけど、
(だからこそ、自分は愛せないしそんな大層なものを貰うのも無理と思ってたのかもしれないけど)
ふと感じる人の思いやりとか優しさだったり。
笑いあって楽しい時間を共有してくれた人達だったり。
陽だまりのあたたかさだったり。
そういうものにほっこりしたものを感じることが増えた。
もしかしたら日常のなかに散りばめられたような、
そういうほっこりしたものが、愛情なのかもしれないなって思うようになってきた。
それなら、わたしも愛してると言えるかもしれない。
愛情について語るとなんか宗教臭くなるけど、
そんなことはまあどうでもいい。
自分が良ければそれで。
いい意味で。
まだわたしはわたしのままで愛される勇気もないし、恋愛関係として人を愛することが怖い。
でも、それでもいい。
それも悪くない。焦る必要なんてない。
少しづつ丁寧に絡まった糸をほどく。
職場の近所で見つけた、子どもが集めてきたであろう秋の贈り物。
かわいいなぁ~とこういうのに、ほっこり心が暖かくなる。
「頭でわかるのと、実感を伴って腑に落ちるのとは全く違うのだ思います。」
7月の記事の方にこう書いた。
うまく説明できないけど、これのどこがやねんって感じやけど、
なんとなく今、愛することが
「実感を伴って腑に落ちかけている」感じがする。
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