アラフォーエリナの人生まいにち人体実験!

関西弁独女エリナ(35)による、 生きづらさを生きる楽しさに変えるための、35歳からの人体実験の記録。

人を好きになることは

わたしにとって、
人を好きになることは

執着であり、
嫉妬であり、
束縛であり、
把握であり、
当然であり、
尽くすことが義務であり、
全集中である。

(最後だけ、鬼滅の刃みたいになった。笑)


そして加えるなら、
わたしは適当に扱われるもんで、
最後には選ばれない。




そう、頑なに心のどこかで思っているわたしがいて、
そんなイメージは嫌だけどそう信じて疑わないのだ。








わたしのイメージをこうやって並べてみると、
なんだかアカンというか、自分で見てて心の奥がシンと物悲しくなる。


なんで、そういう考え方をしているんだろうと。






でも、その「人を好きになる」を
「人を愛するとは」に変えてみると、

それは


受容であり、
自然体であり、
信頼であり、
感謝であり、
何にも縛られず、自由。
それでも、存在を感じること
最後に帰るところであり、帰りたいところ。

かなあと思う。




そんなようなものに見覚えはないか?って聞かれたら、


思い出すのはやはり両親だ。




そう思えば、
35過ぎても結婚もせず子どもも作らずいるわたしに両親は何も言わず、

どうなってんの?と探りを入れることも無い。

本当は聞きたいのを黙ってるのかもしれんと思っていたけど、

そうでも無いのかもしれないなと、この間実家に帰った時に思った。


確実に心配はかけてると思うけど(^^;


こればかりはどうしようも無いからなあ。





少し前のわたしは、

愛をようわからんなにかと履き違えていた。

求められることは愛で、
それに応えることが愛で、
それに応えられなかったら愛ではなくて、
「愛がない人間だ」とバレるのが恐ろしかった。


だから変な取り繕い方をして、誰ひとり幸せでなかった。

長く一緒にいた元カレだって、幸せにすることはできなかった。

ずっと、愛してくれなかった、幸せにしてくれなかったと思い続けていたけど、

そうじゃなかった。


わたしは元カレを好きだった。

でも愛してなかったし、幸せにしてあげたいなんて思ってなかった。

きっと、元カレもそうだった。
もしかしたら愛してくれていたかもしれないけど、
私が全部吸い取ってダメにした。







わたしの中の好きと愛するのイメージがこんなに違うのに、

愛するの前には好きを経ないといけないから、

すごい気持ちがばらばらになる。





好きって本来、とても素敵な気持ちなのに、

なんでこんなふうに思っているんだろう。




でも、それは自分がまだ足りないと思ってるからなんだろうな。

足りない分を外から持ってこようとするから、
好きにつらいものがつきまとうんだ。



好きを外側から持ってこようとするから、
どうしてもつらくなる。


それでも、
「好き」じゃなくて、
考えるだけで違和感で吐きそうだった
「愛すること」について考えられるようになっただけで、
わたしはちょっと大人になった気がする。





今日は雑感ブログでした。



みなさんはどう思いますか。


好きとか、愛するとか



どういうイメージを持っていますか。







よかったらまた遊びに来てくださいね↓

アラサー?おひとりさまのゆる〜い日常 - にほんブログ村


応援よろしくお願いしますm(_ _)m
にほんブログ村 OL日記ブログ 30代OLへにほんブログ村 ライフスタイルブログ 30代おひとりさまへ
にほんブログ村