最近、スカッと晴れてる日が多い。
先日も正午頃に外に出て、雲ひとつない青空で、日向は気持ちよくてこのまま寝てしまいたいと思った。
仕事中なので寝ないけど。笑
そして、正午なのに太陽はとても低くて影が伸びていて、
もうすぐ冬至やからやな~なんてぼんやり思う。
それと同時に、
冬至の頃自分はどうなってるかななんて日記を、
いつか書いたなとふと思い出した。
改めて読み返すと、
「変化しなければ」という気持ちに囚われてたなあと思う。
端的に言うと、「気にしすぎ」。
人生ひっくり返すような、稲妻が駆け巡るような1発解決な神の啓示なんて、(あるかもしれないけど)ない。
ないし、あっても自分には無理だ。
体も心もついて行かない。
時々「素晴らしい世界」、毎日「冴えない暮らし」
悪くないそれもいいだろう 今の俺ならば
これは、学生の頃よく聞いてた曲の一節です。
当時もそうだよなぁ、と思ってたけど、
年齢を経るごとにそうだよなぁ、の分かりみが増してる気がします。
時々素晴らしいなと感動するけど、
わたしの日常の大半は冴えない暮らしで構成されていて、
その冴えない一日が毎日積み重なったわたしの人生は、
冴えない人生になってるなと思うのです。
でもそれを悲観的に見てるのではなくて…
別にこれから大きいことやってやろうと意気込んでるとか、
強がってるわけでもなく。
冴えない暮らしが人生の大半なら、
ずば抜けて素晴らしい日をたくさん作るように頑張るより、
人生の大半を占める冴えない暮らしの中から素敵なものを拾い上げることに注力する方が、
少ない労力で、毎日生きてる実感できるだろうなぁとふと考えたのです。
そして、今わたしに必要なのは、
素敵なものをたくさん見つけるための目と、拾い上げるための手足だなと。
そんでもって、いつまでも自分を信じて諦めず飽きずにやり続ける心の強さなんだろうなって。
それをコツコツ積み重ねていったとき、
きっと冴えない暮らしがいつの間にか素晴らしい日々に変わってるんでしょう。
今だって、自分の暮らしは冴えない感じだけど大切な日々だしな。
ほんと、自分がどう思うかに尽きるかな。
時々「素晴らしい世界」、毎日「冴えない暮らし」
悪くないそれもいいだろう 今の俺ならば
FoZZtone(フォズトーン)というバンドの「平らな世界」という曲です。
曲がカッコよくて、詩世界も独特でカッコよくて、
声に味と艶があって。
とってもいいバンドだったけど、活動休止中。
またライブで生で聴きたいなぁ。