努力が必要。
昔からすごく大好きな、マッキーの名曲の一節です。
槇原敬之「どうしようもない僕に天使が降りてきた」
時々天使はぼくらに
悪戯をして教えるよ
誰かを愛するためには
もっと努力が必要
曲のリリースは96年で、私は小学校高学年でした。
その頃はただ曲が好きで歌詞なんて聞いてなかったのですが、
その後の人生の中で恋愛につまずく度、この
「誰かを愛するためにはもっと努力が必要」
というフレーズが頭をよぎります。
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誰かを愛するための努力って、一体なんなんだろうか。
私はその時そのときで、その努力は
「彼氏の希望に応えることだ」とか
「思いやりの気持ちで接することだ」とか色々と考えていたような気がします。
正直なところ、「希望に応える」とかはそこまで努力が要らずに出来ていました。
私は我慢が大得意だし、我慢した方がもっと避けたい軋轢を生まずに済むから。
でも、私は「希望に応える」ことはしても、「気持ちに寄り添う」ことはしてこなかった。
思えば、私は誰かを深く理解しようなんて今までの人生でしたことがなかった。
本当に人に興味がなかった。
仲良くしてくれる人もたくさんいたけど、この人がどういう人かとかどういう考えかとかに思い至らなかったし、考えたこともなかった。
あんなに長く一緒にいた元彼すら、我慢して彼の意向に合わせたことは数え切れないくらいあったが、
私が彼の気持ちを大切にして寄り添おうと思ってやった事は本当に思い出せない。酷い話だ。
モラハラのち浮気されたわけですが、さもありなん。自分を分かろうと努力もしてくれない人に、どう優しくできましょう。
(元彼もそもそもだいぶ生きづらさを抱えた人だったし、私が努力したところで幸せに居られたかは疑問だけど)
そもそものところ、人どころか私は自分にすら興味がなく、理解しようとしたことがなかった。
だから、自分が本当はどう思ってるか何がしたいかとか全く関係なく、表面上上手くいってる風の人生、仕事出来る風の働き方をなぞってきたんだなと今なら思う。
だから、生きてる実感がなかったんだな。
(なんかこの文書デジャヴ。。なんか前にも書いていたかも。被っていたらしつこくてすみません。)
「誰かを愛するためにはもっと努力が必要」
今また、恋愛(パートナーシップ)につまずいていてこのフレーズを思い出したわけですが。
いろいろ紆余曲折を経て今思う、誰かを愛するための努力は
「怖くてもこちらから胸の内をさらけ出す努力をすること」
「もしかしたら傷つくかもしれないが、互いの気持ちを擦り合わせる努力をすること」
「彼の言動の奥にある気持ちや彼自身を理解しようと努力すること」
あたりです。
これらは、私が今まで怖くて避けてきたことだったりする。
でも、避けてきた結果今のうだつのあがらない自分なわけで。
「分かんない。分かんないから分かりたい。」
昔好きだった深夜アニメのキャラクターのセリフ。
宇宙人と地球人がいて、考えがあわなくてケンカになる。その時に宇宙人が言ったセリフです。
彼や人と向き合うにおいて、考えが違うなら合う人を探すのも一つの方法かもしれない。
でも、今の私は分かんないから分かりたいをやりたいのかもしれない。
合わないからサヨウナラじゃなく、理解する努力をして向き合いたい。
分かんないから分かりたいし、それでもどうしようもない何かがもし存在するなら、その時に考えればいい。
もう去年すでに書いてますけど、こんなに彼の行動が引っかかるのは、気付くべき何かが私にあるからだと思っています。
「彼のあの行動や考え方が気に食わない。別れるべきだろうか。」
彼が何を思ってそうしているかも聞かず、別れるべきかひとりで勝手に悩んでいたのが最近までの私だ。
私はどうもシロかクロかの思考が強いみたいだ。
今更ながらに気づくとは。。苦笑
と、長々と書いてみましたが、明日には考えは変わってるかもしれません。
最近、考え方がめちゃぐらついてるので。。
明日のことは私にもわかりません。
はてさて。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
よかったらまた遊びに来てくださいね(*^^*)
応援よろしくお願いしますm(_ _)m