アラフォーエリナの人生まいにち人体実験!

こじらせ村出身アラフォー女の人体実験の記録。 音楽、バイク、自然、なんてことない日常、隙あらば自分語り。

「親ガチャ」

親子関係に関する記事です。

 

今日も今日とて長いし暗い自分語りです。

 

多分読んで気持ちの良いものではないですし、人によっては苦しくなる記事かもしれません。

 

でも、私の気持ちの整理のためでありますが、これを読んでくださっている誰かの心に響くかなと思って公開します。

 

 

 

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私は、親ガチャという言葉が嫌いだった。

 

嫌いの中でも、強く嫌悪感を持つくらいの嫌いレベルだった。

 

自分の境遇の不甲斐なさを、大切にしてくれた親のせいにするな!!という怒りだった。

 

それについて2年ほど前に記事にしようとして下書きに残していたが、整理した時に消してしまった。

 

 

 

 

あれから2年ほどたった今になって思うことは、

あ、私は親ガチャ外れだったんだな、ということだ。

 

 

 

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私の母は分かりやすく毒親という感じではない。

ただ、小さかった私にこうあるべきを叩き込んだ。

 

「お前はどんくさい」

「すぐに泣くな」

「わがまま言うな」

「もっと鼻が高かったら良かったのに」

「平安時代ならモテたのになぁ」(←薄顔だから)

「ひとりっ子に見えないように育てた」

 

母の言葉から、私は自分のことをずっと

「ブスで何もできない女」と思って生きてきた。

 

 

 

 

なかでも自分の中にずっとこびりついていて、今思うと私の人生をずっと支配してきたなという母の言葉がある。

それは

「ひとりっ子に見えないように」だ。

 

 

母は兄弟の子どもをもつことにこだわっていた。

この辺りは過去の記事にも書いたことだが

 

roma34ne7.hatenablog.com

 

 

母は私を産んだあと、2人めの子どもをなかなか授かれなかった。

兄弟の多い母にとって、兄弟がいることが普通で常識だった。

 

そのうち、母は2人めを諦めた。

その代わり、私にしきりにこういった。

「ひとりっ子に見えないように、ワガママでなく、しっかりした子に育てる。」

 

 

それはいつの間にか、母との絶対の約束のように私の中に染み込んだ。

 

だから私はひとりっ子に見えないように振舞った。

別に母のため!とか意識なんてしていないが、それは自分にとって当たり前の事すぎて、意識するにも至らなかった。

 

 

わがままは言わない。

人前でおいそれと泣かない。

理不尽なことも我慢する。

目立つと誰かに責められるかもしれないから表舞台に立たない。

わがままと思われない一番の対策は、自己主張しないこと。……

(小学生の頃の成績表は、「自分の意見をすすんで言う」に毎回低評価がつけられていた)

 

 

お陰様で?小さい頃から自分の兄弟の話題になったとき、私は兄弟がいないというとまず驚かれた。

必ず「ひとりっ子に見えない!」と言われた。

 

私にとっての最高の褒め言葉だった。最高に誇らしかった。

「私、兄弟いないんですよ〜」っていうのが好きだった。

 

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、

40歳近くなってもそれは誇らしく感じていて、そのことに気付いて驚きとある種の恐ろしさを感じている。

 

 

 

 

 

しかし、「2人めを授かれなくてやむを得ず諦めた」母の、「ひとりっ子に見えないように」という言葉は

裏返すと

 

「ひとりっ子に見えるような、そんなお前ではだめだ」

「お前だけでは私は満足していない」

「お前一人いたところで私は幸せになれない」

そう言われたのと等しいと何処かで思っていたのかもしれない。

 

 

 

ずっとよくわからない悲しみやいらだちに支配し続けられてきた人生だったが、

 

母にとって私一人がいるだけでは不完全なのだ。

私がただ存在するだけでは母は喜んでくれていない。

ひとりっ子に見えないような、そんなメリットがない自分には意味も価値もない。

 

それを無意識にずっと抱えてきた人生だったのかもしれない。

 

 

 

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roma34ne7.hatenablog.com

 

 

以前母に色々話した時、言われたことがある。

 

「育てかた間違えたな、ごめんな。」

 

「そんなこと言わんとって」と思わず泣きながら言ったけど、

 

「ホンマやわ。間違ってたな。

あんたのおかげで私は今も生きづらいわ。」

 

そうも言ってやりたい自分が、まだここにいる。

 

 

母と泣いて抱き合ったあの時、めでたしめでたし。の美談で終わらせたかったけど

私はまだ苦しみの中にいる。

上っ面を滑ったような茶番だ。

やっぱり終わっていないし、私は許せても諦めきれてもいなかった。

 

何を諦めきれていないかというと、

親ガチャに外れてなんてない!ということだ。

私の母は素晴らしい人であってほしかったし、自分の母がクソ親だったなんて思いたくない。

 

世の中にはもっと過酷な境遇のなか過ごしている人がたくさん居るだろうから、私の状況など屁だと思うけど

結果ここに生きづらい人間が完成し、40年近くずっと悩んでいるので「そういうこと」なんだろう。

 

「親ガチャ」に嫌悪感を抱いていたあの頃の自分は、それを受け入れられずにいたんだなと今では思う。

 

 

 

 

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以前カウンセリングを受けた時に、カウンセラーの先生に言われたことがある。

 

私の生きづらさと母との関係を説明した時の

「このままだったら、あなたは自分のお子さんに、お母さんにされたのと全く同じことをしますよ」

という言葉だ。

 

かなり衝撃だった。

と同時に、素直に「ああ、そうだろうな」と思った。

 

私は私ともっと向き合わなければいけないと思ったのは、この一言がきっかけだったかもしれない。

 

 

 

虐待は連鎖するというけれど、

多分母も同じように生きづらかったのかもしれないと想像する。

そして母は祖母にまた同じように育てられているのだろう。

そして祖母も生きづらい人生だったのかもしれない。

そこには何となく思い至ることができる。

 

 

生きづらさは世代を渡る。

末代までの呪いがあるならこういうことかもしれない。

それが最近すごく身に沁みる。

 

 

多分今の私はまだ弱すぎる。人を育てる域に自分自身が達していない。

それでも、この散々な連鎖を断ち切るのは私にしかできない。

 

そもそももうこの年齢なら子どもをもてる可能性は低いだろうけど。

同じような生きづらい人間を生まずに済むなら、それもアリだろうか?

 

なんとも言えない。

 

 

でも、何でも呑み込みたい。

クソみたいな過去も呑み込んで血肉にしたい。

何が起きても呑み込んで自分なりに生きる人に。

それができる人になりたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 

よかったらまた遊びに来てくださいね(*^^*)

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