アラフォーエリナの人生まいにち人体実験!

こじらせ村出身アラフォー女の人体実験の記録。 音楽、バイク、自然、なんてことない日常、隙あらば自分語り。

今しか

まず自分や大切な人が今生きていること、

今できることをすることが全てだと思い知らされた年末年始です。

「また今度」がやってくる保証はどこにもないんだと。

 

上は先日書いたブログの一部なのですが

 

 

このブログを書いてほどなくして、

祖父が亡くなりました。

 

 

roma34ne7.hatenablog.com

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ブログにも何度か書いていましたが、昔気質で一本気な祖父でした。

すぐ怒るし父としょっちゅう喧嘩していましたが、私には優しい祖父。

昔から私を可愛がってくれていました。

私もじいちゃんが大好きでした。

 

 

 

 

 

両親に結婚の報告を電話でした時に、

 

「おじいちゃん、ちょっとな⋯よくないねん。

ほんまは退院して施設に入る段取りにしてたんやけど、急に具合が悪くなってそれも取り消しになって。

きっと喜ぶやろうから、忙しいと思うけど行ってあんたが直接結婚の報告してあげて。それが一番の薬やわ」

 

母にそう言われて、私はそこで初めて祖父が入院していて、しかもあまり調子も思わしくないことを知りました。

 

 

お見舞いは、昨今の感染症対策で平日のお昼14時から17時の間、時間は1人あたり15分だけというかなり厳しい縛りがありました。

仕事は休まなきゃ、お見舞いには行けない。

 

 

でも、タイミングを合わせにいかなければ行けないし、これでもし会えないままになったら私、きっと一生後悔する。

行けるタイミングがあるんなら、すぐ行こう。

 

 

そう思い、電話で祖父のことを聞いた次の日、運良く外せない仕事がない日だったのですぐ祖父の病院へ会いに行きました。

 

 

たった15分しか会えない中、祖父はちょうど起きていて、久々に会って話せたし無事に自分が結婚することを伝えられました。

おお、そうか。良かったなぁ。と静かに受け止めて答えてくれました。

 

それでも15分はあっという間。

じいちゃん、また来るなー!と握手して病室をあとにしました。

 

 

もう、口から食事を摂れていなくて、元々細かったのにだいぶ痩せてしまっていて⋯

握った手が枯れ枝のようにすごく細くて、いろいろと堪えるのに必死でした。

 

 

母から話を聞いていたのだから想像はついたはずなのに、

私は病床の祖父に会うまでずっと記憶の中と同じ、

元気で威勢のいい、あの祖父に会えると思っていたのです。

 

 

でも実際に会ってみて、呑気な私でもさすがに

もう、あの頃のように祖父と一緒にお正月、おせちを囲んでお酒を飲むことはできないだろう。

もう祖父があの家に帰ってもう一度暮らすことは出来ないんだろう。

いやでもそう悟らざるを得ませんでした。

 

 

 

 

 

 

そしてその日の15分が、私と祖父との最後の会話になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しずつ時間は経つけれど、みんな今日も元気に暮らしている。

きっとまたあの人とも、あの時と同じように会えるのだろう。

自分も、あの人も、あの時と変わらず元気に。

 

 

ずっと変わらない毎日が続いていくんだと、なんの根拠もなくそう思っていたのですが

祖父が亡くなったことで、そうでは無いことをありありと突きつけられました。

 

祖父母が亡くなったのは初めてではないのですが。

当然のことにこの歳になって今更気づいた、そんな感じです。

 

前までの自分とは違っているからそれに今気づけたのかもしれませんし

自分ものほほんと居られないような年齢になってきたということなのかもしれません。

 

 

祖父にはもっと会ったりできたはずなのにそれをしなかった。

それが小さなささくれのように心に引っかかっています。

そんなことは考えたところでどうしようも無いのですが。

 

あの頃は戻らないし、私を愛してくれた人がまた1人いなくなってしまった。

なんとも言い表しがたい寂しさがつのります。

 

 

 

 

そしてそれでも、私には今しかない。

 

昔をどれだけ思い返しても悔いてももう戻ってこないし、未来は想像したところでわからない。

明日私もこの世にいないかもしれない。

あの時会ったのが最後になる人もいるかもしれない。

 

今こうして過ごしていて、後から後悔はないか。

今を無碍にしていないか。

 

 

そんなことを考えずにはいられません。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

祖父は生前

「おいバァよ、もうすぐそっち行くからなぁ!」と祖母の仏壇に向かって言っていました。

 

まだ早い、まだ来るなとばあちゃんは言ってたのだと思いますが

ばあちゃんが亡くなってから18年、一人暮らし身の回りの事はなるだけ自分でやって、じいちゃんは生き抜きました。

 

最後は病状が悪化して苦しい闘病をしていたから、

ようやった、もうこっちに来てええでと、ばあちゃんが言ってくれたのではないかな。

 

やっとばあちゃんに会えるね。

そんなことを思っています。

 

 

 

 

じいちゃん、またね。

 

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 

よかったらまた遊びに来てくださいね(*^^*)

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