どこかで見かけたネット記事で、面白いのがあった。
2児のママが、タンスに眠ってた洋服を処分しようと片付けてたとき、
20代の頃に着てたミニスカノースリの服が出てきて、着れるかな?って試しに着てみた。
そしたら、自分では「やべっ!!似合わないなー!!」って思ったけど、それを見た子どもたちが
「ママかわいい!!」
「すごく似合う!!」
「プリンセスみたい!!」
って、めっちゃ絶賛してくれたって話。
ママは嬉しくなっていったんその服を捨てるのをやめたけど、
後日もう一回着てみたらやっぱり年齢を感じたので処分しました、という結末。
別にこのママさんが実際にその服を着るか着ないかはおいといて…。
子どもたちの反応が、なんかいろいろな偏見やしがらみに囚われてないなぁ、と読んでて感じました。
たしかに、年齢には勝てないから身体はだるんだるんになってくるし、20代の服は似合わなくなる。
でも、それもやけどまず先にくるのは
「この歳でこんな若者の服着てたら周りにどんな目で見られるか…」
「笑われるのが恥ずかしい」
「若作りと思われるやろな…」
とかいう自分の意識で、
人の目を気にする意識。
客観視は必要だと思うけど、
その客観をどこまで採用するかって大切だなと思うんです。
子どもたちには、周りからどう思われるとか関係ないんですよね。
かわいい服を、大好きなママが着てる。
素敵!似合ってる!!(*゚∀゚)
そういう主観だけ。
自分が、それをスキか?
自分が、それにときめくか?
シンプルな判断。
子どもの頃は、好きなことが一生懸命好きだった。
それを好きなことを、周りがどう思うかなんて全く気にしなかった。
なのにいつからか、わたしは自分の好きなことにも正解を探すようになっていた。
「この人わたしの趣味のことどう受け止めてるんやろ…熱く語ったら引くやろうな…
わたしの趣味の話はどうでもいいって思いながら聞いてるんやろな…
だから軽めに説明しておくか」
てな。
自分の好きなことも適当に済ます、堂々と好きって言わないそんな自分が嫌だった。
だからかな。
「これが好きなんですー!!」って堂々と公言して、
相手がどう思うかなんて気にせずに、自分の好きなものをプレゼンテーションできる人が好きだ。
ケイさんも小熊さんも、「これが好きだ!!」ってわたしに語ってくれた。
そんな姿が好きだった。
男女問わず、好きなことを熱く語ってる人の話を聞くのが好きだ。
そういうものを持っている人と一緒にいたい。
そして自分もそうなりたい。そうありたい。
やりたいことも好きなことも、堂々としたらいいよね、一度きりの人生ですから。
誰かの目を気にして色々我慢しても、
その誰かはわたしの人生の責任なんてとってくれないから。
死ぬときの後悔をひきうけてなんてくれないから。
そう思って、最近はやりたいことをリストアップしている。
正しくは、以前リストアップしたものをブラッシュアップしてる、かな。
4月頃にリストを書いたのだけど。
まだたった3〜4ヶ月前だけど、その頃の自分とはもう今は違う人間な気がしてる。
変わったとか大げさなことじゃないけど…
自分っていうパズルのピースを外して、何ヶ月か後にはめ直したら、
微妙に形が変わっていてもうキレイに入らない。
それくらいの、ちっさい違和感くらいの違い。
昔は世の中にも変わらないものがあるって信じてたけど、
今はどんなものも変わっていくと思っている。
時代も街も人も、自分も変わっていくんだな。
その変化を軽やかに楽しみたい。