こんばんは。エリナです。
今日の記事は雑感です。
書いてるうちにまた小難しくなってしまいました。
読みやすい文章が書ける人が羨ましいです⋯。
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テロで指名手配になっていた犯人が、末期ガンで亡くなったニュースを見た。
これまで何度も街に貼られたポスターで見た顔と名前だったから、少しびっくりした。
私が産まれる前の事件だし、どういう事件でどういう顛末だったのか分からないから、そこへ言及するのは避けますが⋯
今回の話を聞いて印象に残ったのは
「最期は本名で迎えたい」と、犯人が言っていた
ということ。
なんで別人のまま死ぬんじゃなくて、
指名手配犯に戻ってから死にたかったんだろう。
最後は病死だとしても、
誰にもバレてなかったんだから死ぬまで逃げおおせたのに。
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私は少し前に悩んでいた時、
自分が自分であることとは何か、
人はどこまでがその人であることで、何が変わればその人じゃなくなるのか。
自分を自分たらしめているものは何なのか。
そんなことを考えていた。
(悩んでるね~😂)
彼とも話したりして、
その時落ち着いた結論としては
「人の過去や背景のストーリーが繋がっていれば、
どう変わったとしてもその人なんじゃないか」。
なら、世間から本名を名乗る自分を消し去ったら、
それって過去から途切れず書き綴られてきた自分の物語を、途中で破り捨ててしまうのと同じなのかなって。
あの時の自分に優しくしてくれた人、
あの時の自分が経験したこと、
あの時の自分が精一杯頑張ったということ。
別に偽名を名乗って別人として生きたところで
思い出は自分の中から消えないんだけど⋯
それを隠さないといけないことになってしまって、
堂々と話せないこと、
「自分は自分として堂々と生きられないこと」は
どんな人にとっても苦しみなのかもしれない。
何人も人を殺していたなら、言うまでもなく日本では死刑だと思うけど
「あの事件を起こしたのは自分と堂々と名乗ること」「本名を名乗って生きること」
それができないなら、この50年別人としてして逃げおおせたけど
とっくの昔に犯人は死んでいたに等しいのかもしれない。
そしてそれは、もしかすると死刑よりももっとずっと苦しい刑なのかもしれません。
それなら、周りを気にして自分の言いたいことも言わずに空気を読み続けて我慢して、
自分をというものを堂々と表現せずに生きることは
死刑より重い刑を自分から進んで受けに行っているようなものかな。
それって⋯ものすごいホラーだ。
そしてそれは、少し前までの私だったりする。
それほどのことを、わたしたちは当然のように
無意識に、受けているのかもしれない。
そう思うと、やっぱりホラーだな。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
よかったらまた遊びに来てくださいね(*^^*)
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